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ビジネスパートナーとしてのASEANを考える 【第3回】
ミャンマーの現在
ビジネスパートナーとしてのASEANを考える 【第3回】
ミャンマーの現在
2017年11月29日
ニュース等で最近、ロヒンギャの問題が取りざたされているミャンマーですが、軍政が終了、民政に移管し、アウンサンスーチー氏を中心に改革が進んでいます。
このミャンマーに、筆者は3年ほど前よりコンサルティングに出かけております。今回はこの3年ほどのミャンマーの劇的な変化についてレポートしたいと思います。
ミャンマーとは
ミャンマーは、東南アジアのインドシナ半島西部に位置する共和制国家であり、1948年にイギリスから独立した。通貨はチャット、人口は5,142万人(2014年)、首都はネピドー(2006年まではヤンゴン)である。日本からは飛行機で7時間ほどである。
ミャンマーは南東がタイ、東はラオス、北東と北は中国、北西はインド、西はバングラデシュと国境を接している。ミャンマー料理について聞かれることも多いが、この土地柄をふまえ、タイ料理と中華料理とカレーが混じったような感じですと応えると納得していただけることが多い。また、多民族国家であり、人口の6割をビルマ族が占め、ビルマ語が公用語である。他に、カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チン族、モン族、ヤカイン族、シャン族、北東部に中国系のコーカン族などの少数民族がおり、中国語やベンガル語等、独自の言語を持つ民族も多い。仏教徒が90%以上を占めるが、バングラデシュ国境あたりにイスラム教徒が多く居住し、それがロヒンギャ問題になっている。
2015年の選挙で、アウンサンスーチー氏率いる国民民主連盟 (NLD)が勝利し、民主国家となったため、この前後からの経済発展が目覚ましい。筆者もちょうどその前後からミャンマーを訪れるようになったため、その劇的な変化に驚く。2000年頃の中国も毎月、訪問する度に新しい風景が見られたが、現在のミャンマーがそのような感じである。
国土の大半が熱帯又は亜熱帯に属しているが、気温や降水量は地域による差異が大きいものの、全体的な降水量が多い。ベンガル湾やアンダマン海の沿海部は年間降水量が5000mmを越える有数の多雨地域である。南部経済回廊の起点であるダウェーもこの多雨地域の沿岸部であり、雨期の工事は砂地であることもあり、非常に建設が困難である。 これまで軍政による鎖国が続いてきたため、産業は農業・食品や服飾/テキスタイルといった軽工業中心である。しかし、最後の楽園といわれるミャンマーに、開国後に続々と外国企業が低賃金を求めて参入し、今後、重工業や組立産業(電機・機械等)が発達するであろう。
ミャンマーのインフラ状況
ミャンマーは天然ガスが取れるにも関わらず、電力事情が非常に悪い。以前より大変良くなったが、今でも日に一度は瞬停(瞬間停電)はある。以前は日に何度も15分程度の停電があったことからすると気にならなくはなった。 交通は自動車中心である。ほとんどが日本、韓国の中古車中心であり、トラックやバスには日本語で、元所有者や企業の社名などが書かれているものがそのまま走っているため、とても微笑ましい。マンダレー空港の空港リムジンバスで、小松空港行きの看板がそのままになっているバスを見たときには、思わず笑ってしまった。ここ数年で、ヤンゴン、ネピドー、マンダレーをつなぐ高速道路が開通した。高速道路といっても高架ではなく、自動車専用道路である。開通当初は料金所にたくさんの人がおり、料金徴収を複数の人間が行い、記録もノートに手書きで行っていたが、最近は料金所にいる職員の数も減り、料金所のパソコンに職員が料金情報を入力すると、領収書が印刷される仕組みになってきた。都市間の輸送も基本的にトラック、バス中心である。
ミャンマーにも鉄道がある。1877年創始といわれている。全国で6100kmの路線があるが、整備状況が悪く、時速15-60km前後で走行しているため、国民は時間がかかり、整備状況が悪い国鉄を選ばず、トラック、バスまたはお金持ちは飛行機を使うのである。この整備の悪い状況を改善すべく、日本のODAが非常に活用されている。たくさんの中古車両が日本からほぼ無償で輸出され、かつJR東日本を中心に線路の保線、引き直し、整備技術のノウハウ・トランスファーが行われている。結果として時速100km程度で走れる車線も出てきたとのことである。
ミャンマーもタイやインドネシア同様、富裕層と貧困層の格差が非常に激しい。富裕層は頻繁に飛行機を活用する。例えば、マンダレーからヤンゴンに行くようなときである。決して、鉄道は使わない、安かろう、悪かろうだからである。
しかし、ヤンゴン市内には環状鉄道ができ、今後、整備が施され、徐々に便利にまた、活用されるようになっていくであろう。
最近、飛行場も劇的に改善されている。3年前に初めて、マンダレー空港に行った際は、切れた蛍光灯が天井に並び、空港職員はスマホに興じ、食事するところもほとんどなく、とてもミャンマー第二の都市の空港とは思えなかった。ヤンゴン空港では国際線はそれなりにキレイであるが、国内線は出発ロビーでは街中と同様の屋台が並び、荷物は戦前のような分銅式の秤で重量を測定するような状況であったが、国内線は劇的にきれいに整備、新築され、欧米さながらのコーヒーショップやお土産屋も出来、国際線も新しいターミナルが増設された。数年前からすると信じられない。
マンダレー空港は、三菱重工とJALの子会社であるJALUXの合弁会社がオペレーションを請負、大いに改善された。まず空港職員が制服を着て、航空会社を超えて、職員が協力し合い、サービスを向上させている。空港ロビーには三菱自動車の新車が展示され、空港内の売店ではミャンマーチャットだけでなく、アメリカドル、タイバーツも使用でき、旅行者に対する配慮もなされている。
また、街中では工業団地、ビルの建設や下水道工事がなされている。
このように、ミャンマーのインフラは劇的に改善している。ここには大きなビジネス・チャンスがあるといえる。
ミャンマーの農業、食品動向
ミャンマーは元々、農業国であり、米・野菜栽培、茶産業、畜産業が盛んである。マンダレー空港から市内に向かう車に乗っていると、よく放牧の列にぶつかる。国際空港の近くと思えないのどかな風景である。
米・野菜栽培においても以前より、機械化が進みつつある。しかし、一度奥地に入ると、そこは非常に原始的な農業が行われているのが実態である。
昨今、経済水準の向上に伴い、食品産業においても、安全・衛生レベルの向上が図られている。
筆者は食品会社の安全・衛生レベルの向上支援にも携わっている。以前は上半身裸で裸足で仕事をしている従業員が多数いた工場も、作業着、帽子、作業靴を履き、エアシャワーで製造工程に入らないといけない工場も出てきた。
また、賞味期限を伸ばす技術も薬品を使うのではなく、レトルト技術にトライする企業も出てきた。
しかし、悩ましいのは本格的に食品機械ビジネスでミャンマーに進出してくる外国企業がまだ少ないということである。日本企業もまだ本格進出してきていない。もし機械を調達したければ、日本、中国、台湾、タイ、欧米といった国からの輸出に頼らないといけない。このあたりがまだまだ発展のスピードを阻害している。ティラワ工業団地のように外国企業が多数進出してくると、便利になり、変化が加速すると思われるが、そのあたりはまだ時間がかかりそうである。
まとめ
本号では、ミャンマーの最新動向について、インフラ、農業・食品といった観点からレポートしました。
最後のフロンティアーといわれるミャンマーですが、ここ数年で劇的な変化が起こっています。親日的な方が多数いるこの国の方々と、ぜひビジネスを協働で成功させたいものです。
ビジネスパートナーとしてのASEANを考える(全6回)
第1回:ASEAN 経済共同体を見据えた東南アジア向けビジネス革新
第2回:AECがタイ/ASEANの食品業界に与えるインパクト
第3回:ミャンマーの現在
第4回:イスラムビジネスを考える ~ハラルを知る~
第5回:なんちゃって日本企業/製品の認知度がさらに高まっている